8ポーズ

母校で、デッサンのモデルバイトをしている。

高校一年生の女子に描かれている。
20分×8ポーズで、ポーズ間に5・10分休憩が入る。

20分同じポーズをしていると考えることしかすることがないが、その時考えていることが現在の私のすべてだと思った。
今日の割合は、
早くポーズ終わらないかなということ40%、
就職のこと30%、
高校時代のこと15%、
彼氏のこと5%、
大学の思い出のこと5%、
その他(家族のこと、好きな街のこと)5%、
といった具合
休み時間に先生とまで、就職の話をしてしまった。

それはよくて、
私を画用紙にデッサンしている女の子たちに、先生が指導している内容が、耳を澄まさずとも聞こえる。
肩が上がりすぎじゃない?とか、あそびの線が多いから練り消しで消しながら描いた方がいいよ、とか、空間を出すには遠くのものは硬めの鉛筆で描いた方がいいよ、とか
それに対しての高校生たちの反応は結構ふざけていて、ふらふらしながら聞いてたり、ちょっと笑いになることを言ったりする。

私も高校生のときはすごくふざけていた。そのことを思い出した。
先生も優しいし、生徒もみんな友達で楽しいし、アトリエは地下にあって校舎と隔離されているから、なんだかこのあたたかい空間は全てを許してくれるようだった。
勉強はいくらがんばっても平均点に届かないし、そんな私に担任は手のかかる子だという目で見るし、だんだん授業は真面目に受けずに、美術ばかりやるようになっていた。

この学校はどんどん難関大学合格率を上げ、中学受験界では名声を高めている(多分)。
そんな女子校に、美術コースというものが未だに存在しているのは、昔にたくさん雇ってしまった美術教師たちを食べさせる為にあるのではないかと密かに思っている。
このコースがなければ、私は自分に甘い世界を知らずに自分に鞭打って難関大学受験の波に挑んで行けたのかもしれない。
又は、自分の落ちこぼれっぷりを受け入れざるを得なくて中退していたかもしれない。
半分以上美術の授業を受け卒業できるコースがあったから、私はそのコースを選択し卒業し、美術大学へ進んだ。
美術大学に進まなければ良かったと、どこか思っている。
こんなにも楽しいだけで、人生を乗り越えて来ながら。


高校生に、セーターのリブから、太ももの筋肉の曲線から、手の爪の生え際から、全てを観察され書き写されながら、彼氏とのセックスを思い出していた。
なぜかと言うと、その状況ってちょっと面白いかな、と思ったから。
前のは1週間も前なんだけど、その次の日もこのバイトだったから、なんか変な気分だった。
お腹に出されたあと、ティッシュで拭いただけの体で、何も知らない高校生の前に座ってる。
まだちょっと、入口の痛みが残っているような
高校生の頃の私にはそんな感覚、想像もできなかった
私、これでいいのかな、合ってるのかな、むしろ、これが社会だよね

つらいような、つらくないような、我慢できないようで我慢できるような、20分間をやり過ごす。一点を見つめている。